さそりの火
バルドラの野原に一ぴきで暮らすさそりが、イタチに追われて今にも食べられてしまいそうになった時、傍にあった井戸に落ちてしまいました。
さそりはぶくぶくと井戸の水を飲み、溺れてしまうのです。そんな時、さそりは思うのでした。
(私は今までいくつの命をとってきたかわからない。そんな私が、イタチにとられそうになった時、あんなに必死になって逃げた。けれども、こんなことになってしまった。ああ、なにもあてにならない。何故私は私のからだをイタチにくれてやらなかったのだろう。そうすれば、イタチも一日生き延びただろうに。神様、私のこころをご覧ください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。)
すると、さそりの身体は真っ赤な炎になり、真っ暗な夜のなかで音もなく明るく燃えているのでした。
宮沢賢治氏の作品の中では、よだかも、さそりも、最後には星になってしまいます。みんなの幸いのために。そして「生」とは正反対にある場所へ。
決して自己犠牲を賛美するわけではなく、神社の神使として人々の願いや祈りを聴き届け、人々の幸いの為にと願いを籠めて名付けました。
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